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東京の八王子にある書道教室/書塾。 漢字、かな、子供の習字、硬筆、ペン字などお教えします。
先日、墨運堂の営業さんとお話をさせていただいた際、やはり墨の話になった。
ペーパークロマトグラフィーをやった際、分離した墨がかなりあった。混ざりもの、顔料が入っているなあ。本当の松煙墨の色をしらずして墨色は語れないだろう...と考えていたのでそのお話をしたところ『いい純松煙があります、これなら間違いないです。』と紹介されたのがこの墨。
やはり本物は高価だ、一丁型6600円。
職人さんも少なくなっているだろうし、その生活を維持するために目を引く墨や墨汁に流れるのもある意味は仕方がない。何よりも墨を使う側の理解が足りていないし手間を惜しみすぎる。教員や主婦にはそんな暇はないからそこも仕方がないのかなと。師に言われた紙を買い、言われた墨汁を使えば楽に作品ができる。
ただ、亡き上の師の作品群を思うと、75歳以降は墨を選び磨り、紙を選びぬいて書いているのが見受けられる。便利によらず手間暇をかけてこその書ではないかとそう思うようになってきた。それが書道の本来の姿ではないかと。軸や小物で風雅を愛でる書が僕は本来の書だと感じているから。手紙を送る際にも紙や墨を選んで楽しむ、上の師の手紙がうちに10通もあるけれどそれらは本当に紙を継ぎ手間ひまかけて書かれているのだ。
原点回帰.、展覧会の書ではなく本来の書へ帰っていく。
お弟子さんに曲がった書を教えてはいけない、それが書の闇を作り上げることになるから。
僕もお弟子さんへの手本や臨書は墨汁や残り墨を使うけれど、せめてこれからは大字作品以外はその時の墨や硯、紙を記録しつつ磨墨を使おうと思う。
まずが僕が実践して『それが佳いもの』とお弟子さんたちに認めていただく、それがまずそういう手間ひまをかけさせるものを使わせるだけの説得力になればと願う。

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